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講演要旨集
演題は口頭発表が8題、基調講演が1題、ポスター発表が16題あります。以下、講演順に掲載します。
口頭発表
10:10〜10:25(口頭01)
「首里城再興学術ネットワーク」について
富永千尋(琉球大学 研究推進機構)
首里城再興学術ネットワークは首里城再興に学術面から貢献するネットワークとして、2020年に琉球大学において発足した。首里城再興に向けた課題は多岐にわたっており、県内の大学、研究機関を核に広範囲な学術ネットワークを構築することにより、教育・研究面で首里城再興に貢献することを目指している。本学では2020年度から「首里城再興学術研究プロジェクト」を立上げ8つの研究プロジェクトが行われており、2021年度後期には「琉大特色科目:首里城講座」を開講する。また、首里城関連の学内外の情報をメールマガジンとSNSで発信する他、関係機関と連携し、学生、県民、地域社会とともに首里城再興を考える場としてシンポジウムを開催している。3回目となる本シンポジウムは沖縄県、沖縄県立芸術大学とのコラボレーションで開催した。
10:25〜10:40(口頭02)
「琉球文学大系」刊行事業について
照屋 理(名桜大学 国際学群)
名桜大学は2019年、約120年にわたり研究されてきた琉球文学の作品世界を一望する「琉球文学大系」全35巻の刊行事業を開始した。琉球語を解釈し、かつ話すことのできる研究者が減少する中、危機感を持った30余名が大学の枠を越えこの事業に集っている。
奇しくも事業発足と同じ年の4月、パリ・ノートルダム寺院で火災が発生し、10月には首里城が消失、国内外で大きく報道された。同じく文化財といえる琉球語の消失はしかし、ほとんど気づかれないまま、日々進行している。
首里城の復興とは、建造物の修復はもちろん、文化や民俗が織り込まれた記録や言葉・表現、受け継がれてきた琉球・沖縄の歴史や思想、あるいは神歌に歌い込まれた信仰世界、神観念なども、首里城復興の文化財コンテンツとして不可欠な要素であろう。
「琉球文学大系」事業は首里城を文化財として再発見し、そして次世代へ引き継いでいく基盤を構築する一助となりうるものである。
10:40〜10:55(口頭03)
首里城美術工芸品の現状とこれから
幸喜 淳(沖縄美ら島財団 総合研究センター 琉球文化財研究室)
令和元年10 月31 日未明に国指定史跡で世界遺産でもある首里城跡にて火災が発生し、首里城正殿等を含む主要復元建物群が焼失・損壊しました。建造物の火災に伴い、施設内に保管されていた美術工芸品についても、一部焼失・劣化等の被害が見られました。所在確認調査の結果、1,510点の美術工芸品のうち、1,119点が焼失を免れたことが分かりました。しかしこれらの美術工芸品は、熱や水などの影響を受けていることが考えられ、各分野の専門家により状態確認調査を実施しました。その結果、絵画や漆器、染織の多くに、熱や水害などの影響による劣化が見られました。被害調査が終了し、今年度より本格的な修理を開始しております。被害が一番大きな漆器については、今後20年以上を超える修理が必要になると考えられており、それ以外の分野でも複数年にわたる修理・復元を計画しております。それらの作業を担える修理技術者、製作者の人材育成についても継続して行っていきます。
10:55〜11:10(口頭04)
漆工品の復元製作と後継者育成
當眞 茂(沖縄県立芸術大学 工芸専攻 漆芸分野)
模造復元とは博物館や美術館に所蔵されている文化財等を、可能な限り製作された当時の材料や道具、技法、技術を使い新しく製作される美術品である。発表者が担当した沈金技法の復元の際には、現在使用されている道具ではなく、往時の運刀法が可能な道具を研究し再現された。文化財を模造復元することで、伝統技法の研究が進むとともに、現在失われてしまった技法や技術を復活させることができる。その技術などが、今後の新しい工芸作品へと活かされ、芸術的価値を高めることに繋がると期待できる。
また、漆芸の後継者育成として、本学・工芸専攻漆芸分野では、基礎となる道具仕立てや髹漆の修得をはじめ、琉球漆芸の特徴である加飾技法を数多く取り入れ、他大学にはない授業を行っている。道具や材料の作り方から作品制作までを一貫して修得することで、首里城の再建に繋がる第一歩と考えている。今年度より本学の大学院において、文化財保存修復の授業をスタートし、実践的な技術指導を行っている。
11:10〜11:25(口頭05)
発掘調査成果から見る首里城正殿跡
山本 正昭(沖縄県立博物館・美術館)
1985~86年に首里城内で実施された発掘調査で正殿建物の基礎部分となる基壇遺構が検出された。その遺構は全部で6基確認されており、首里城そのものが歩んできた歴史を示すものである。
14世紀頃に首里城内で基壇を持った大型の礎石建物が建造され、1945年の沖縄戦にて失われるまで断続的に立ち続けていた正殿は内外的にも琉球王国の権威を視覚的に示す役割を果たしていた。あわせて、この正殿は「からふぁーふ」や「百浦添御殿」など様々な美称や敬称を付されていたことからも首里城における象徴であったとも見て取ることができる。
沖縄県教育委員会が主体となって実施された首里城正殿地区の発掘調査から37年を経て、再度その調査成果に注目し、そこから浮かび上がってくる新たな事実について触れていくと共に首里城としての歴史的意義を今一度見直していく。そして、文化財としての魅力を再発見していくことを試みる。
11:25〜11:40(口頭06)
首里城正殿復元に向けた首里城瓦に関する調査研究
花城可英(沖縄県工業技術センター 環境・資源班)
沖縄県内で生産されている赤瓦は沖縄島南部に賦存するクチャ(泥岩)を主原料としている。平成の首里城復元時の正殿瓦は沖縄島北部の古我知粘土を原料として使用していたが、瓦製造技術の向上により、その後、周辺建屋の赤瓦はクチャを主原料として製造されている。
国が行っている「木材・瓦類ワーキンググループ会議」において、首里城瓦の仕様等が検討され、今回の首里城再建に使用される正殿瓦は主原料をクチャとし、回収された正殿破損瓦を粉砕し、シャモットとして使用することとなった。
そのため、本研究では原料となるクチャの確保を目的として、比較的量の見込める沖縄島南部の公共工事現場のクチャについて調査を行った。その中で、焼成時の吸水率が低い、「石嶺クチャ」を確認し、その配合・焼成試験、シャモットの配合試験を行った。
11:40〜11:55(口頭07)
首里城復元に係る県産木材の利用について
比嘉政隆(沖縄県 農林水産部 森林管理課)
県内の森林は、古くから沖縄の歴史の中で、建築、土木、産業、生活用材や薪炭材等の供給地として常に木が伐り出され、沖縄の生活・産業・文化を支えてきた。往時の首里城正殿についても、県産木材が使用されていた。首里城正殿の建築材は、「寸法記(1768年)」では、オキナワウラジロガシ、イヌマキ、タブノキ、イジュなどの樹種が使用されていたと記されている。前回の首里城正殿復元の際には、県産木材の使用はなく、国内外から調達した木材が使用された。
今回の復元に関しては、国の「首里城正殿等の復元に向けた工程表」において、イヌマキやオキナワウラジロガシについても調達可能かどうかの調査を継続し、使える材があった場合には可能な限り活用するとあり、また、それを受けて県の「首里城復興基本方針」においても、国や関係機関と連携して県産材の調達ができるよう取り組むとしている。
そのため、県では、構造材や造作材・木彫刻材への県産木材の使用の可能性を検討するため、現地調査や県内在庫量の調査を行った。今回は、その取組内容について報告する。
11:55〜12:10(口頭08)
50年後、どんな首里のまちにしたいですか ―住民目線で発信するまちづくりの提言―
伊良波朝義(NPO法人 首里まちづくり研究会)
首里城は年間約250万人が訪れるが、首里城だけを見て帰る「直行直帰型」観光が主流。首里城地下駐車場の満車時は道路が渋滞し、緊急車両が立往生する事態も生じていた。また、生活道路に迷い込むレンタカーで子どもや高齢者が危険な目に遭うことも多発していたが、首里城焼失後はこうした状況も一時的に消滅。火災直後のシンポジウム等は再建の話が中心で、このままでは焼失前の課題は改善されないのではとの危機感から、課題解決のため、行政に住民の声を届ける活動を始めた。
首里城周辺のまちづくり団体と「首里杜会議」を立ち上げ、シンポジウムやワークショップ等を開催し、「首里城復興基本方針」の章立てに合わせて提言書をとりまとめ、県・市へ手交した。「首里城復興基本計画」に首里杜会議の提言が多く盛り込まれたことは、未来への第一歩だと言える。約30年前の首里杜構想から取りこぼされた課題も含め、交通問題や歴史まちづくりには息の長い取り組みが必要で、国・県・那覇市・沖縄美ら島財団・地域による協議体の設置が待たれる。
基調講演
13:10〜13:55
首里城復元の意義と課題
田名真之(沖縄県立博物館・美術館)
首里城は多彩な顔を持っていました。琉球国の王城であり、宮殿であり、迎賓館、行政府等々。また王の住まいであり、多くの御嶽を擁する聖なる空間でもありました。
首里城は琉球、沖縄の歴史の現場でした。島津侵入や琉球処分、そして沖縄戦。首里城はその主要な舞台となっていました。首里城の復元は、首里城の多様な側面を視野に入れながら、そうした歴史、文化的背景を踏まえつつ取り組む必要がある思います。
ポスター発表
ポスター01
首里城復興基本計画について
大濵長健(沖縄県 知事公室 特命推進課)
首里城復興基本計画は、首里城の復元のみならず、その象徴である歴史・文化の復興につなげていくため、具体的に取り組む際の方向性等を体系的に定め、首里城復興を計画的に推進することを目的として令和3年3月に策定しました。
その内容は、首里城正殿の早期復元や歴史まちづくりの推進、琉球文化のルネサンス等、8つの基本施策で構成されています。
県では、首里城復興基本計画を、県民はじめ多くの人々、企業・団体及び行政・大学・関係機関等と共有することで、20年、50年先の未来を見据え、連携・協働して首里城に象徴される沖縄の歴史・文化の価値を確実に次世代へ継承し、それぞれの時代にふさわしい新たな文化創出など沖縄発展の礎として首里城復興へ一体的に取り組んでいきます。
ポスター02
「首里城再興学術ネットワーク」について
富永千尋(琉球大学 研究推進機構)
首里城再興学術ネットワークは首里城再興に学術面から貢献するネットワークとして、2020年に琉球大学において発足した。首里城再興に向けた課題は多岐にわたっており、県内の大学、研究機関を核に広範囲な学術ネットワークを構築することにより、教育・研究面で首里城再興に貢献することを目指している。本学では2020年度から「首里城再興学術研究プロジェクト」を立上げ8つの研究プロジェクトが行われており、2021年度後期には「琉大特色科目:首里城講座」を開講する。また、首里城関連の学内外の情報をメールマガジンとSNSで発信する他、関係機関と連携し、学生、県民、地域社会とともに首里城再興を考える場としてシンポジウムを開催している。3回目となる本シンポジウムは沖縄県、沖縄県立芸術大学とのコラボレーションで開催した。
ポスター03
「琉球文学大系」刊行事業について
照屋 理(名桜大学 国際学群)
名桜大学は2019年、約120年にわたり研究されてきた琉球文学の作品世界を一望する「琉球文学大系」全35巻の刊行事業を開始した。琉球語を解釈し、かつ話すことのできる研究者が減少する中、危機感を持った30余名が大学の枠を越えこの事業に集っている。
奇しくも事業発足と同じ年の4月、パリ・ノートルダム寺院で火災が発生し、10月には首里城が消失、国内外で大きく報道された。同じく文化財といえる琉球語の消失はしかし、ほとんど気づかれないまま、日々進行している。
首里城の復興とは、建造物の修復はもちろん、文化や民俗が織り込まれた記録や言葉・表現、受け継がれてきた琉球・沖縄の歴史や思想、あるいは神歌に歌い込まれた信仰世界、神観念なども、首里城復興の文化財コンテンツとして不可欠な要素であろう。
「琉球文学大系」事業は首里城を文化財として再発見し、そして次世代へ引き継いでいく基盤を構築する一助となりうるものである。
ポスター04
首里城再建と蔡文溥
前堂颯世(名桜大学 国際文化研究科)
蔡文溥は清代初の官生として活躍し、康煕58(1719)年に冊封副使として来琉した徐葆光から「中山第一才」と称された人物である。その著作に『四本堂詩文集』があり、蔡文溥の生涯を通して作られた詩文が多く収録されている。その中には、康煕48(1709)年に焼失し、康煕51(1712)年に再建された首里城に関する詩、「王殿落成誌喜」及び「壬辰年仲春二十一日返御新殿群臣恭賀三首」の4首が収録されている。
本発表では、これら4首を分析していき、蔡文溥の首里城再建に対する意識を検討していくことを目的とした。その結果、蔡文溥にとって首里城の再建を喜び、国王が首里城に戻ったことを恭賀するために詩を詠むことは重要なことであった。また詩によって琉球の人々の思いを表現しようとしていた。これは臣下としての意識がうかがえるものであり、「中山第一才」と称されるほど詩に長けていた蔡文溥だからこそできたことだと結論付けた。
ポスター05
あの世の住まいに立つ龍柱 〜近世琉球の人びとの首里城イメージ〜
宮城弘樹(沖縄国際大学 総合文化学部/南島文化研究所)
首里城火災をきっかけに、首里城正殿の大龍柱の向きに関する議論が再燃している。依拠する資料、県民の想いが錯そうしながら、前向きな議論が重ねられている。
本ポスターは、近世琉球の島人の首里城イメージについて同時代資料からこれを考える一つの素材を紹介する。具体的には琉球独特の習俗である、洗骨後ご遺骨を納める石厨子や厨子甕に意匠された「龍柱」の姿だ。王国時代の島人は首里城をどのようにイメージしていたのかについて一緒に考えたい。
もちろん、これらの意匠は正確に模刻されたものではない。また、そもそも同時代の製作者が首里城内に軽々入城できたのか、なはだ疑問も残る。
それでも、手がかりの少ない復元だからこそ、様々な資料に対して真摯に向き合い、学問の枠を越えその真実に迫るべきである。その際、特に同時代の資料、地下の遺構や残存する遺物の丹念な調査と分析は必須であり具体的な根拠となるだろう。
ポスター06
首里城美術工芸品の現状とこれから
幸喜 淳(沖縄美ら島財団総合研究センター 琉球文化財研究室)
令和元年10 月31 日未明に国指定史跡で世界遺産でもある首里城跡にて火災が発生し、首里城正殿等を含む主要復元建物群が焼失・損壊しました。建造物の火災に伴い、施設内に保管されていた美術工芸品についても、一部焼失・劣化等の被害が見られました。所在確認調査の結果、1,510点の美術工芸品のうち、1,119点が焼失を免れたことが分かりました。しかしこれらの美術工芸品は、熱や水などの影響を受けていることが考えられ、各分野の専門家により状態確認調査を実施しました。その結果、絵画や漆器、染織の多くに、熱や水害などの影響による劣化が見られました。被害調査が終了し、今年度より本格的な修理を開始しております。被害が一番大きな漆器については、今後20年以上を超える修理が必要になると考えられており、それ以外の分野でも複数年にわたる修理・復元を計画しております。それらの作業を担える修理技術者、製作者の人材育成についても継続して行っていきます。
ポスター07
漆工品の復元製作と後継者育成
當眞 茂(沖縄県立芸術大学 工芸専攻 漆芸分野)
復元模造とは博物館や美術館に所蔵されている文化財等を、可能な限り製作された当時の材料や道具、技法、技術を使い新しく製作される美術品である。発表者が担当した沈金技法の復元の際には、現在使用されている道具ではなく、往時の運刀法が可能な道具を研究し再現された。文化財を復元模造することで、伝統技法の研究が進むとともに、現在失われてしまった技法や技術を復活させることができる。その技術などが、今後の新しい工芸作品へと活かされ、芸術的価値を高めることに繋がると期待できる。
また、漆芸の後継者育成として、本学・工芸専攻漆芸分野では、基礎となる道具仕立てや髹漆の修得をはじめ、琉球漆芸の特徴である加飾技法を数多く取り入れ、他大学にはない授業を行っている。道具や材料の作り方から作品制作までを一貫して修得することで、首里城の再建に繋がる第一歩と考えている。今年度より本学の大学院において、文化財保存修復の授業をスタートし、実践的な技術指導を行っている。
ポスター08
平成の首里城復元
宮城 修(沖縄県立博物館・美術館)
石川県出身の今英男氏は平成の首里城復元に尽力した彫刻家です。今氏は寺社・仏閣の彫刻を手掛ける井波彫刻で修業を行い、その後自ら工房を開いて多くの作品を制作します。そして首里城復元事業が始まると、その確かな技術が評価され、正殿の「唐破風妻飾」や「向拝柱の金龍」、「御差床の額木」等の彫刻に携わります。約3年にわたって沖縄と石川を幾度となく往来し、職人としての責任と彫刻家としての誇りをもって作り上げました。製作工程で使われた図面には、龍の指の形や胴体の輪郭が不自然に感じる等といった趣旨の記述が残され、龍の細かな構造に気を配りながら製作していった様子がうかがえます。また、約150点に及ぶ写真からは製作の詳細な様子を知ることができます。
今氏が残した図面、木型、試作品等の資料は平成の復元事業の様子を知る事ができるだけでなく、令和の復元事業においてもその活用が期待されます。
ポスター09
首里城正殿復元に向けた首里城瓦に関する調査研究
花城可英・赤嶺公一・宮城雄二(沖縄県工業技術センター)
首里城復元に向けて、材料調達の状況変化等を反映した資材等確保の研究が急務となっている。沖縄県工業技術センターは首里城正殿瓦の原料確保のため、比較的量の見込める沖縄島南部の公共工事現場のクチャについて調査を行い、配合・焼成試験を行った。
今回の調査において、1,030℃焼成体の吸水率が低い那覇市雨水貯留施設現場クチャ(以下石嶺クチャ)が確認された。しかしながら、石嶺クチャ単独では収縮率が大きく、また成形しにくく、瓦用原料として利用しづらいため、石嶺クチャと他のクチャ、赤土との配合・焼成試験を行った。その結果、吸水率12%以下、収縮率10%程度の焼成体を得ることができた。
今後、沖縄県赤瓦事業協同組合の協力を得て、首里城瓦の試作を行う予定である。
ポスター10
首里城瓦の製作技術の変遷の解明
佐々木健志(琉球大学 博物館(風樹館))・平良 渉(琉球大学 研究基盤センター、研究企画室)・
青山洋昭・昆 健志(琉球大学 研究企画室)・山極海嗣(国立民族学博物館、琉球大学 島嶼地域科学研究所)
瓦は首里城のもつ独特な景観を作り出す重要な要素の一つである。その琉球の瓦は、13〜14世紀ごろに登場し、現在に至るまで独自の進化を遂げてきた。これまでの琉球瓦研究では、文様・形態・記銘などの研究が先行する一方で、素材や技法に関わる理化学的なデータは少なく、外見的要素以外の情報は殆ど蓄積されていない。本研究では、琉球大学旧首里キャンパス時代に収集され、大学博物館(風樹館)に保管されている14~18世紀の首里城古瓦と、昨年の火災で焼け残った瓦(破損瓦)を用いて、非破壊的な理化学分析によって首里城瓦の性質・機能・製造技術の歴史的変遷を明らかにする。非破壊的な理化学分析として、①デジタル画像を用いた色調の数値化・解析、②蛍光X線分析顕微鏡を用いた元素分析、③産業用X線CTスキャナーを用いた内部構造解析を行った。これらの解析を進めることで、琉球列島の瓦の製造技術・利用文化成立等の考古学的研究に新たな視点を提供できるだろう。
ポスター11
放電プラズマ焼結法を用いて首里城破損瓦をリサイクルしたセラミックスについて
新城友秀(琉球大学大学院 理工学研究科)・三宅正将・神田康行(琉球大学 工学部)
沖縄県民の敬愛する首里城は、2019年10月31日に火災が発生しました。そのため、多くの首里城の破損瓦が燃え残っています。沖縄県は、首里城破損瓦の利活用事業を実施しています。そこで、本研究では、首里城破損瓦がセラミックスの分野から有効利用を可能と考え、首里城破損瓦を用いたセラミックス(破損瓦セラミックス)の作製を調査します。首里城破損瓦は、セラミックスの原材料とする為に粉末にします。破損瓦粉末に放電プラズマ焼結法(SPS)を適用し、高強度なセラミックスの作製を検討します。破損瓦セラミックスの密度と曲げ強度を測定しました。測定結果として、密度は、破損瓦よりも破損瓦セラミックスが高く、緻密化しています。また、曲げ強度は、破損瓦に比べて破損瓦セラミックスが高く、約7倍も向上しています。以上の事から、首里城破損瓦は、放電プラズマ焼結法(SPS)を適用する事により、高強度なセラミックスが作製可能と分かりました。
ポスター12
首里城復元に係る県産木材の利用について
比嘉政隆(沖縄県 農林水産部 森林管理課)
国の「首里城正殿等の復元に向けた工程表(2020年3月27日)」において、「チャーギ(イヌマキ)及びオキナワウラジロガシについても、引き続き、調達可能かどうかの調査を継続し、使える材があった場合には、可能な限り活用する」との報告がなされている。また、県の首里城復興基本方針でも「国や関係機関と連携し、県産材等の調達ができるよう取り組む」としている。
そのため、県では、首里城正殿の小屋丸太梁に使用可能なオキナワウラジロガシについて、国頭村及び石垣市において、自然環境への負荷を最小減に抑えることを考慮して林道から近接している範囲内で現地調査を行い、8本の候補木を選定した。現在、候補木8本について、集材方法や伐採跡地の対応方針等について検討を行っている。
なお、沖縄本島北部地域では、将来の首里城正殿の復元材の調達を見据え、平成6年度からオキナワウラジロガシの植林を行っており、令和3年4月時点で2千本以上の樹木の生育が確認されている。
ポスター13
首里城正殿再建に使用する県産木材の基準強度評価プロジェクト
カストロ ホワン ホセ(琉球大学 工学部)
2019年10月に消失した首里城正殿再建にあたり、往時の姿を再現するべく、かつてから主要部材の一種として使用されていたと推定されるオキナワウラジロガシを使用することになった。しかしながらオキナワウラジロガシの力学特性に関する資料が少なく、実用化が危ぶまれていた。そこで、本研究ではその力学特性を明らかにすることを目的に無垢材試験体を用いて曲げ試験及び縦圧縮試験を行った。それらの試験結果を基にオキナワウラジロガシの基準材料強度を計算により求めたところ、以下の知見が得られた。
基準材料強度は日本建築学会で示された現行広葉樹無等級材基準強度と比較して同等以上の値を示した。また、一般的に建材として使用されている針葉樹のヒノキ材やスギ材を上回る強度や弾性率も確認された。これにより首里城正殿再建にオキナワウラジロガシを使用することが木材強度的に可能となった。
ポスター14
50年後、どんな首里のまちにしたいですか – 住民目線で発信するまちづくりの提言 –
平良斗星(NPO法人 首里まちづくり研究会)
首里城は年間約250万人が訪れる大観光地だが、首里城だけを見て帰る大型バスとレンタカーによる「直行直帰型」観光は、観光客の首里地域への回遊も無く、渋滞や細街路へのレンタカーの進入等の交通問題もまちづくりの大きな課題となっていた。火災後にこれらの現象がピタリと止まったことで、これらの課題の大きな要因であったことは証明されたと考えられる。
これらの課題解決のため、当NPOでは、行政に住民の声を届ける活動を始め、首里城周辺のまちづくり団体と「首里杜会議」を立ち上げ、「首里城復興基本方針」に合わせ、地域住民に深く関わる部分についてシンポジウムやワークショップ等を開催し、提言書をとりまとめ、県・市へ手交した結果、「首里城復興基本計画」には首里杜会議の提言が多く盛り込まれた。
本プロジェクトは、ここで取りまとめられた首里杜地域の交通問題や回遊促進のための拠点整備、そして高齢化という特徴を持つ首里杜地域のくらしのQOLの向上を含めた「政策マップ」として作成された
ポスター15
複層的な首里歴史まちづくり – 城下町首里の都市形成史と水と緑のランドスケープ –
小野尋子・陸 聖仁・新垣翔也・向井大瑛(琉球大学 工学部)
2019 年10月31日未明に発生した火災により首里城正殿を含む8棟、および保管されていた貴重な文物も多数焼失し、県民は大きな喪失感を味わった。沖縄県は復興にあたり、周辺市街地の整備等も含めた首里杜地区におけるまちづくりを検討している。そこで本研究では、首里城の機能の変遷に合わせて、城下町はどのように変わってきたのかを歴史的に整理し、城と城下町の関係性の基礎的知見を得ることを目的とした。江戸時代に比べて、100年長い平和の治世を歩んだ琉球王国。首里城と首里の城下町は県外の江戸時代の城下町とは異なる生活と風景を有していた。世継ぎとなる世子殿が城郭外に築かれ、各地の按司達と居住空間を共にした。お屋敷街だけでなく寺社があり、緑に囲まれ、こんこんと湧き出る湧水をたたえた首里の城下町は、心の休まる場所であったと思われる。令和の復興となる首里城復元では、ぜひ首里城下町も一体となったまちづくりと空間整備が望まれる。
ポスター16
複層的な首里歴史まちづくり – 首里「瑞泉」環境をSTEAM/SDGs教育に活用するプロジェクト –
古川雅英(琉球大学 理学部 地学系)
琉球王国が成立したとされる15世紀以降、首里城を含む首里の町は成長・発展を遂げてきた。この間、王府をはじめとする首里住民の生活基盤として欠かせなかったのが「瑞泉」とよばれる豊富な湧水(地下水)の存在である。ここで「瑞泉」とは、狭義には首里城第二門(瑞泉門)の脇にある龍樋から流れ出る地下水であり、広義には「おいしい水」といった意味のいわゆる名水を指す。「瑞泉」は、飲料水や生活用水として住民の生活を支えてきただけでなく、泡盛・染織物・琉球紙など、産業・手工業にも使用されてきた。しかし最近では、首里の都市化が進んだことにより、「瑞泉」の質と量ならびに利用の状況に大きな変化が生じている。そこで本プロジェクトでは、「瑞泉」に関する理化学的調査研究を実施するとともに、得られた成果をSDGsの観点を含めたSTEAM教育に活用し、首里「瑞泉」環境の保全・持続にかかわる若手人材の育成を目指す。